コソボの鉄道 路線図 撮影地 2023 ユーゴスラビア製 EMD GT22HW-2

 

訪問: 2023年9月/2018年2月

 

コソボは2008年にセルビアから独立した、ほぼ普通の独立国家寄りのギリギリ未承認国家である。

104の国連加盟国(diplomatic recognition as a sovereign state by 104 member states of the United Nations. )に承認されているので、僕の感覚からすればかなり国家なきがするが、国連加盟はできていない。

日本も米国傘下なのでコソボを承認している。

通貨はユーロが使われている。

ビルクリントンがセルビアを空爆してくれたおかげで独立できたので、首都プリシュティナの一角にはビルクリントンのクソデカ写真が飾られ、ビルクリントンの銅像が立つというイカした国だ。歴史上の人物ならともかく、存命中の人の銅像があるのはおもしろすぎる。

信じられないことに、2024年からコソボの車のナンバープレートでセルビアに入れるようになるなど、徐々に関係は改善しているのかもしれない。

 

2018年に観光に行った。2023年は完全に撮り鉄目的で渡航。

 

コソボ鉄道

 

そんなコソボにもちゃんと鉄道がある。元々はユーゴスラビアのネットワークだった。TRANKOSは2011年に設立された。

公式サイト: TRANKOS

TRANKOS – wikipedia

Rail transport in Kosovo – wikipedia

 

路線図

セルビアと戦争する前は、セルビア方面にも鉄道があったが、間違いなく永久に復活しないだろう。

マケドニア方面にも列車があったが、2023年現在は線路改良により運休中。2023年訪問時、Fushe Kosove南に行った所、綺麗な砂利と高規格な感じの線路が敷かれていた。

マケドニア方面の列車は2018年に乗ったので後で紹介する。

 

筆者はマケドニア→HANI I ELEZIT →プリシュティナは2018年に乗車済み、PEJEは今回乗車したため全線乗車済である。

 

時刻表

 

現在はPeje 〜 プリシュティナの1日2往復の旅客のみ。運が良ければ貨物も撮れる

時刻表(リンクのpdfにある)

 

 

撮影

 

コソボは、かつて丸っこいエモすぎるDLが走っていたが、既に引退している。(後述)

現在はアメロコが走っている。4日間撮影した。

 

 

車両 EMD GT22HW-2

 

車両はEMD GT22HW-2 といい、1981~84年に生産されたユーゴスラビア製である。見た目の割にはかなり古い。

生産者は、Đuro Đaković (company) というSlavonski Brodに本社をもつ会社 (現在のクロアチア)

 

 

1日目(9月10日)

 

コソボ鉄道のメインの駅である、Fushe Kosove 駅を偵察。

1日2本しか来ない駅なのだが、中では売店(小さなカフェ)が開いていた。

 

駅周囲を偵察中に GIVE ME MONEY という子連れの若い男に絡まれたりするがそれは適当に対応しよう。

久々にマネーマネー国家だなぁと思った。旧ソ連ではアブハジアレベルでしか出くわさないしそのアブハジアでもティーンエイジャーがやる行動だ。いい歳こいた奴はやらないから、旧ソ連は何だかんだ民度高いなぁと思った。
 

そこを去り、一度西のストレートに歩いて行ったが逆光なのでボツ。

 

駅構内で、共産チックな工場があったので、夕方のペヤ行きを工場を絡めて撮影することにした。

 

42°37’50.1″N 21°04’50.5″E

地元民が線路を道路がわりにしているので乱入は当然OK。立っていると若者にからまれた。

線路西沿いに売店があるので飲料や食料の補給はかんたん。EUで一番安いレベルの店だと思う。

 

2日目

 

42°37’49.4″N 21°01’21.7″E

Bardh i Madh 駅にて。バスで来る場合はプリシュティナから1系統(後述)

1日目は筆者はFushe Kosoveから徒歩で行った。

 

 

42°38’23.6″N 21°00’52.2″E

夕光線で良かったし、デイビッドっぽい構図の写真が撮れて大満足。(bahnbilder.ch 必見)

 

近くに鉱山がある。そこで働いている人が車を止めて話しかけてきた。敵意は無い感じだが一応確認といった様子。割と偉い人らしく、英語はうまかった。

向こうからすれば怪しいアジア人だし、一応セルビアと戦争していた国なので仕方ないだろう。

航空写真で見ると北で何か大規模に採掘している。

 

コソボは実は天然資源に富み、石炭で電力を95%自国生産しているそうだ。

>鉱物資源が豊かで、トレプチャの亜鉛鉱山はヨーロッパでも最大級の規模を誇る。その他にも石炭、銀、アンチモン、鉄、ボーキサイト、クロムなどが産出される。石炭のうち褐炭が豊富で、それを燃やす火力発電が電力の95%を賄う - コソボ wikipedia

 

3日目

 

42°39’01.4″N 21°07’44.5″E

ここは1日目にも行ったのだが、1日目は50mmの構図がイマイチで、ニート即再履修。3日目は望遠で。

前回も今回も思いっきり三脚を立ててたら、今回はすぐ近くの家の人が「何やってんだ、この間も居たよな」的な事を英語で言ってきた。彼が不快を感じていたのは間違いないが、仕方ない。

 

Bardh i Madh駅にて

 

今回は2日目に撮影した地点よりも北で撮影したが、今ひとつなのでボツ。

それを撮影する前、ペヤ方向を向いている貨物を発見!旅客と交換した後来ると予想し、岩の撮影地を目指す。

まずバスに無視され、バスは諦めてヒッチハイクをすると初老のおっさんOPELが止まってくれた。途中から行く方向が違うと発覚したが、そこは5ユーロを握らせてGo!

 

5ユーロスキップの甲斐はあり時間は余裕だった。悠々とゲバを立てる。

 

5ユーロ余裕でお値段以上。ニッコリ。

場所:Guri i Plakes

この直前なぜか軍隊が写真逆側(手前側)の下の駐車場にいて、周辺でなにか訓練でもしていた..?

軍にカメラは向けないし、列車通貨前に軍は去ったのでヨシ。

 

この近くにはレストランがある。かなり綺麗なレストランだが、コソボは物価が安いのでピザを注文した。

 

岩の撮影地の下。

本当は俯瞰で撮りたかったが、登り方がわからず断念(列車通過後に登山ルートを発見した。)

 

この日は、帰りもヒッチハイクができてプリシュティナまで乗せてくれた。ジャヴィッドというCollageで環境系のことを教えている人だった。Environment Activist と本人が言っていたが、多分グレタ的なヤバい方ではなく普通の人だと思う。ドイツ語のほうが得意だと言っていた。

 

 

4日目

 

42.649848, 21.130215

朝の1便目。

昨日は地元民にケチをつけられたので、南東に100m移動したインカーブで撮影。バレなきゃ良いんですよ(害悪撮り鉄)

 

午後便

 

再びBardh i Madh駅までローカルバスで移動。

レンタカー無しのため移動が限られてしまうが、この駅周辺で十分Vスポットが多い。(むしろここより西だと開けている場所が少ない?)

 

バスの終点(42°38’53.5″N 21°00’19.3″E)から撮影地に歩いていると、大型トラック-確かスカニア-に逆ヒッチされた! 

最新のスカニアのキャビンはほとんど音と振動がない。普通車より静かで快適だった。

しかし撮影地のため1kmほどで下車。運転手はなんでやねん!と思っただろう。

 

42°39’40.7″N 20°59’16.5″E

この辺。

全く駅のようには見えないが、バス停の標識がある付近はMJEKAJ駅で、列車は停車する!

列車のスピードはまだ遅い。落ち着いて撮影できる。自動車が来る可能性があるので、普段はあまりやらないがここは手持ちで。

 

 

 

昨日(3日目)に登山道を見つけた、奇岩を通過する列車をいざ撮影!

は??????????

現像はしません。

 

そもそも夏至近くないと時間的に光線が厳しいので行くなら夏限定。

これは再履修

 

エモい機関車の廃車体

 

1日目にFushe Kosove周辺を探索した際に、廃車体とポスターを見つけた。

 

コソボ鉄道の魅力はこの機関車のみというレベルだった。これが引退し、今はそこまで優先度は高くないと思う。

Fushe Kosove 駅の巨大ポスターにあるのは詐欺だと思う。

公式サイトのスライドに残ってるのは詐欺だと思う。(大事なことなので2回)

 

廃車体は車両基地にある。

勝手に裏側(南西側)から入って撮った後、正門の方に行った。職員は、あまり高圧的ではないが「出ていけ」という感じだったので、堂々と正面から行くのはやめたほうがいいかもしれない。

アルバニア語が出来たり、賄賂を渡したらひょっとしたら公式訪問できるかも?

 

NOHAB-GM

NYDOVIST HOLM AB

TROLLHATTAN

SWEDEN 1958

NOHAB Nr.2413

GENERAL MOTORS LOCOMOTIVES

 

とのことで、スウェーデン製だが、エンジンは米帝様(ゼネラルモーターズ) とのことだ。

 

撮影地までのバス (1系統)

 

今回紹介した撮影地は、プリシュティナ市内、その周辺か、Bardh i Madh 駅周辺である。

 

Bardh i Madh へは、1系統、GRABOVC 行きのバスで行ける。ビルクリントン前あたりのバス停で待っていれば1系統は来る。(プリシュティナ市内は一方通行を半時計回りに走るため、どこが始発とも言いづらい。20~40分おきには来る。

バス終点は42°38’53.5″N 21°00’19.3″Eとなる。

奇岩撮影地へはそこから50分程度歩くことも出来る。ヒッチハイクもまぁまぁ可能。

 

駅紹介

 

路線図は上のようになっている。

 

Fushe Kosove

 

Fushe Kosoveは、鉄道が十字にクロスする主要駅。現在はペヤ〜プリシュティナの2方向のみ運行。

プリシュティナ市内から路線バスで行ける。

本社はここのロータリーの右手前方向にあるようだ。 (公式サイトの一番下 Trainkos | Fushë Kosovë – Sheshi i Lirisë p.n. )

一部ホームや線路は工事中で、マケドニア方面の改良が終わったらそれらのホームが使われるのかもしれない。

 

Prishtine

 

首都の駅だが、田舎にある小駅のようだった。

これでも、朝の上りからは大量の人が降りてくる。通勤通学に使われている。

 

PEJE

 

ペヤ駅。石造りで立派な駅であるが、ビンの破片が散らばっていたり、廃墟感はある。とはいえ2階は鉄道員の施設として使われている。

モンテネグロへは、プリシュティナからバスでいけるが、PEJEも経由する。そのため、鉄道でPEJEで来て、この街からモンテネグロへのバスへ乗ることも出来る。筆者はここから夜行バスで行った。

バスターミナルのチケット売り場で荷物預けを頼んだら、おばさんが無料でやってくれた。本来の業務ではなかったのかもしれないが、コソボ人のおおらかさを見た。

 

Hani i Elezit (2018)

 

Hani i Elezit

マケドニアに最も近い駅 Hani i elezit 駅

現在は線路のリコンストラクツィヤで運休中。

 

Y1型 FIATのDMU(2018年)

 

Hani i Elezit は、マケドニア方面の最後の駅。ここからFushe Kosove まではFIAT製のかわいいDMUが走っていた。

Y1 という形式のDiesel Hydraulic で1979–1981年に100量が生産された。

イタリア製。

 

FIAT FERROVIARA SAVIGLAND 1980年製造とのこと。

 

スコピエ(マケドニア)〜Hani i Elezit 駅の国境超えは、マケドニア国鉄の客レ(客車1両か2両)が担当していた。

 

コソボ人について

 

コソボ人はユーロが使える国とは思えないくらいアゼルバイジャンのような雰囲気に近い。

プリシュティナの一番キレイな場所は、西側の地方都市と同格レベルだが、一方で少しResident Area(線路際)へ赴くと、平屋がち並び、子供が集まってくる。

途上国っぽいというと言い方が悪いかもしれないが、危険人物は居ないし割と友好的なので、程よい感じが好感をもてた。(Fushe Kosove 駅南の踏切近くのケバブ屋は1回無料でおごってくれた!)

 

PEJE でモンテネグロ行きのバスを待つためにカフェでビールのんでいたら、現地人がビールもう1杯奢ってくれたり好印象。

アジア人への侮蔑的感情も世界水準よりかなり少なく感じたし、結構気楽で良かった。

 

コソボ式ケバブ

 

筆者はケバブマニアである。安くて肉と野菜が入っている完全栄養食だ。

コソボでは、他国では見ない謎のケバブが売っていた。平たい肉団子を3個~5個くらいパンに挟んであるのだ。

 

特段超うまいとも思わないが、あっさりめで何回食っても飽きない感じ。

店にもよるが、200円〜300円くらいで食えるので、おすすめ。

 

 

おわりに

 

筆者がコソボに行った理由は、トビリシ→SAW→プリシュティナがペガサス航空でたまたま安かったためだ。

被写体は超重要ってわけでもないが、何だかんだ面白かった。

PEJEへ列車で行った後、もっと本命のモンテネグロへと夜行バスで向かった。

 

 

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